大恐慌のアメリカ (岩波新書)
林 敏彦
この本が出たのは1988年である。前年の87年にブラックマンデーとよばれる株価暴落がおこっており、すでに日本が空前のバブル繁栄を謳歌する前に大恐慌再来は恐れられていたのである。それからどんなに多くの大恐慌再来本が出たことか。1929年の大恐慌を恐れ、「くるぞくるぞ」と脅えつづけ、とうとう2008年のアメリカ株価大暴落とあいなったわけである。
幸いなことに恐れとともにアメリカ大恐慌の教訓や失敗は多くの人の胸に刻まれ、このような本や知識も大量に出回っている。大恐慌がどのような経緯をへて、失敗したり、持ち直したりしたのかといった検討が多くおこなわれれば、同じ過ちやわだちに落ち込むことも少なくなるだろう。人類の叡智に期待したいというところだろう。
われわれ� �このような大恐慌本を読むことによって、大恐慌とはどのようなものだったのかという備えや恐れの軽減をおこなうことができる。ルーズベルトがいったように「われわれが恐れなければならないのは恐怖心である」ということである。恐れというのは知らない不安といえるだろう。知ることによって恐れが軽減されるのなら、大恐慌の実相というものを知ることはたいへんに大事なこととなるだろう。
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この本は大統領を中心にアメリカの20年代の繁栄から30年代への大不況が社会や経済状況とともに広く描かれていて、なかなかに参考になる本である。以下は気になったところを抜粋。
暗黙の木曜日の暴落は14.8%にたっした。だがこの暴落は87年のブラックマンデーで破られるのであるが。暴落から三年後の32年には実体経済が最悪になり、GNPは29年ピークの半分になり、労働者の四人に一人は失業者となった。株価総額にして740億ドル、ピークから82%が株式市場から消滅した。アメリカの第一次世界大戦の戦費のおよそ三倍だった。
アメリカは1920年代に空前の繁栄を享受したのであるが、すでに第一次世界大戦に幻滅し、人々は夢をもてないでいた。ヘミ ングウェイやフィッツジェラルドなどの「失われた世代」はこのころに現れた。金銭的・物質的成功に幻滅していたのである。アメリカの農家は戦争景気によって設備投資の膨大な借金によって疲弊しており、都市の繁栄からとりのこされた。住宅建設ブームも25年に終焉しており、苦境におちいっていた。そして戦後のベビーブームも終焉し、移民の制限も起り、需要が減りはじめていた。
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史上最悪の立法と呼ばれる輸入関税法スムート・ホーリー法は経済学者の千名の反対書名が集まったそうである。そしてヨーロッパは報復的関税措置を発表して、ヨーロッパは復興への手がかりを失ったのである。1931年にオーストリアの大銀行が支払停止におちいり、銀行の取り付け騒ぎが東欧にひろがった。
名目GNPは32年までに44%下落し、工業生産は44%、国民所得は51%、企業売り上げは50%、輸出は36%下落した。失業率は25%、農業を除けば36%に達した。政府の負債残高は年間歳入の10倍にふくらんだ。
ときの大統領フーヴァーは孤児から億万長者になり、戦争で困った人たちを助けた人道主義者でアメリカン・ドリームを体現した人なのであっ� ��が、大恐慌によって「金持ちを優遇する冷たい心の持ち主」となり、バラック小屋の集落は「フーヴァー小屋」とよばれるようになった。商店が襲われたり、小規模な騒乱があいついだ。ヘンリー・フォードは尊敬と賞賛から、旧体制の悪の権化と化した。国民的英雄にのぼりつめた財界人や金融界の大物も同様であった。三万あった銀行は半数の一万六千行がすがたを消した。失業者は1500万人にたっした。
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モノはたくさんあるのに必要な人に回らないという現象が各地におこった。失業者はろくに服を着れないのに農民は大量の綿の売れ残りをかかえていた。靴がないの靴工場は半年閉鎖しなければならなかった。食べ物がない一方、作物は畑で腐っていた。とうもろこしはあまりにも安くなったために暖炉で燃やされたが、牛や馬が餓死していた。酪農家は牛乳を排水溝に流しているのに失業者は満足にも子どもに牛乳をのませることができなかった。経済循環や経済機能が完全に麻痺していたのである。日本の戦後の買出しはこのような現象の結果おこったのだろう。
ニューディールは経済学者の定説としてはそれ以上の悪化をくい止� �る役割を果たしたかもしれないが、総需要政策としては役に立たなかったといわれている。成長軌道にのって失業率が激減したのは第二次世界大戦がおこってからだった。しかしニューディール政策にあつまった人たちは個人の利害をこえた救済や建設的な事業のために使命感と熱気をもっていた。施しを受けるより労働者は仕事でお金を稼ぎたがっていた。ルーズベルトは250万人の青年を森の仕事につかせ、考えれる限りの仕事が連邦政府から提供された。その数は426万人にものぼったという。しかし回復に向かったかと思われた経済はルーズベルトの37年の緊縮財政によってふたたび厳しい後退に向かった。
不況長期化の原因として所得分配の不平等化があげられている。それによって供給過剰と需要不足がひきおこされる。まさに現代にもおこっていることだろう。労働生産性は22年から29年にかけて21%上昇したが、実質賃金は16%にとどまり、大企業の利潤は170%にものぼっていた。富める者はますます富み、とりのこれる者はますますとりのこされる繁栄のかたちがつづいた。そして需要の減少とクラッシュがひきおこされたのである。いつの時代も同じ過ちがくりかえされるのだろう。
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